コトバのコトバ

コーヒーのような別れかた

「コーヒーのような別れかた」という言葉が英語にある。
米語ではない、英語のほうに、だ。
意味は、それまでのどちらかというと楽しかった出来事も
なかったことにしてしまうような別れかた、転じて、台なしにする、
さらには日本語でいう、後ろ足で砂をかけるのニュアンスすらあるらしい。
文字どうり後味の悪いコーヒーへの中傷である。
もちろんそれは前提として、
英国がコーヒーに非常にネガティブな社会だからなのだが、
たとえばこんな小話がある。

「フランス人っていうやつはほんとうにバカだね。
美食だ大胆だ繊細だと口角泡をとばすくせに、
そのおしまいにあんな苦いものを口に入れたら、
ハト食ったのかネズミ食ったのか忘れちまうだろうに」
そして、その点我が聡明な国民は紅茶を飲む、と続けるところが英国人らしい。
もっともこれを引用してフランス人が
「ならばオマエたちこそコーヒーを飲むべきじゃないのかね」
つまりあんなまずいものを忘れるためにと切り返すくだりがあるのだが、
コーヒーの弁護にはなっていない。

このやりとりが「コーヒーのような別れかた」を如実に表すものならば、
なるほどヤツは一杯のニヒリズムかも知れぬ。
事実、英国人には珍しいコーヒー愛好家のミック・ジャガーは
このニヒリズムをむしろ好意的に認識していたらしく、
メロディーメイカー誌のインタヴューにおいて、
政治腐敗のテーマでこの語句を用いている。
彼が,Paint it Brack を書き上げたのはちょうどその頃だ。
だとさ。

中学生の私にそんな作り話を真顔でする叔父は、
その3日後放浪先のタイで食あたりで亡くなった。
近親者は私への最後の話を知りたがったが、教えなかった。
ただ、コーヒーでも飲めばよかったのにと、死者に意地悪なことを考えた。
But,coffee didn’t Paint it Brack.

 

 

エフエム東京「TOKYO COPYWRITERS’ STREET」2006年10月放送