コトバのコトバ

最終回 ヨウイチ

人生の、けじめでも、節目でも何でもいいが、その辺がよくわからない。

大過なくゆるゆると流れていく日常に、

わざわざ節目を見出してけじめをつけるのは、タフな発想である。

ミキがイライラしていることはよく知っているのだが。

 

33歳になった。親父のこの年にはすでにぼくは小学生だった。

ぼくがまだ結婚しようとしないのは、

束縛されたくないとかまだフラフラしていたいからだと、

だからしたくないのだとぼくの隣で眠っているミキはきっと思っている。

束縛とかではない。それならばもう足りている。

結婚なんかしたらもう終わりだとぼくは思っている。

結婚は人生の墓場だとか聞いたことあるような古いたとえ話ではない。

兄貴夫婦なんかは楽しそうにやっているし、

あんな子供なら持ってもいいなと思えるくらいの甥と姪がいる。

終わりが違うなら完成と言うべきか。
結婚、子供、その成長。何ひとつ経験してはいないのに、

この既視感はどういうことだろう?

しかもこの既視感は、

多かれ少なかれとか遅かれ早かれとかの小さな誤差の範囲内でたぶんそうなるだろうという、

確信めいたものも伴っている。

ぼくらは二十歳すぎで就職の内定が出た瞬間に、生涯の収入が決定される。

景気や業績で一時的に左右されることはあるだろうが、それも多かれ少なかれってやつだ。

人生のサイズ感を測るものさしはひとつではないだろうが、

少なくとも人生の経済的サイズはそこで決まる。

そこからやりたいことやるべきこと、奥さんのこと子供のこと自分たちの親のこと、

単に引き算するだけの話だ。情けなくて頭にくるが、そんな簡単極まりない数式だ。

そこで唯一の未知数、というか変数が結婚する年齢である。

それにどんな数字を放り込むかによって、少しばかり計算式は違う。

逆に言うとそれで人生の数式は完成してしまう。あとはカーナビの指示通りに走るようなものだ。

と、そこまで考えてうっかり書き上げそうになった式をバラバラにしようと、

大急ぎで頭を左右に振る。
「オイルショックの時代に生まれた世代は、自分のケツの拭き方を知らん」

今日もクライアントの部長に言われる覚えのない嫌味を言われた。

「トイレットペーパーがなかったからな」彼は上手く言ったつもりだ。

それにしても最近我が世代(笑)は責められ過ぎてはいないか?

ぼくはたまたま最初に勤めた会社に今でも残っているが、

同期で入社した連中の半分弱は辞めてよそへ移ってしまった。

そういうことを取り上げて、「あいつらには根性がない」

と学生時代対抗戦グループラグビー部主将フランカーの上司が分析してみせる。

「みんな誰かがサンタさんのように答えを持って来てくれると思っている」

お得意の「答えなんかない!論」だ。

「会社変えても答えなんかないぞ。答えは自分で出すものなんだ」

そんなこと出ていったやつに行ってくれ。こっちはそれで苦労しているんだ。
ぼくはある確信を持っている。ある病理はある種の人にのみあるものではない。

「ある」が4つだ。抽象的だな。つまりこういうことだ。

少年犯罪を扱うワイドショーなどでコメンテーターたちが、

教育の不備や社会のひずみを嘆いてみせる。いつも見ていてイラつく。

じゃ彼らはその病理からフリーなのかと言うと、そうじゃないだろう。

同じ社会で同じマスコミュニケーション下にあり同じ政治経済に支配され、

全く違う結論が出るわけがない。みんな同じように病気の素を持っている。

経験が少なく、ゆえに抵抗力に乏しい子供たちから発病しているに過ぎない。

ぼくらに答えを安易に求めると罵る大人たちも、

一週間で5キロ痩せるダイエットピルとか、

78%に抜け毛の減少が確認されたと謳う発毛(?)剤を買いあさっているではないか。

答えを安易に求めるという病気は同じだ。

社会に対する無力感に苛まれてひきこもる若者の気持ちもわかる。

誤解を恐れず言うと、自分に絶望して無作為に人を刺すやつらの気持ちもわかる。

ぼくも同じように無力で、ときどき絶望している。
答えを求めようとする作業は、自分の運命を描くことに似ている。

何かが正しい答えかどうか迷いだしたらきりがない。

今いる会社が正しい答えか?今回のプレゼンは正しい答えか?ミキが正しい答えか?

そんなことわかりようがないだろう。

それを「答えはあらかじめあると考えないで、自分でつくるのだ」

とフランカーは言っているのだろう。

でもそれは運命を自分で描くこととさりげなく同義語ではないか。

答えを模索しているつもりで運命に指先が触れてしまっているなんて、

人生の計算式どころではなく厄介だ。

ところで運命って切り拓くものと考えるのか、そもそも決まっているものと考えるのか、

どっちが正しい答えだ?ってもういいか。
ぼくはいま33歳だ。体は確実に衰え始めているが、衰えちゃってねー、というわけではない。

経験は増えてきたが、それで何かを解決したという経験はない。確信した答えはひとつもない。

禁じられてもどこかに素晴らしい答えがあるような思いが捨てられず、

疲れ果てて元の場所に戻ってくるかもしれない。

「青い鳥」か。昔話はいいな、本当のことが書いてある。

いろんな人が人生を試してみて、なるほどそうだと思ったんだろう。

だから語り継がれてきたのだ。

きっとぼくもやがて疲れ果ててようやく自分なりの答えを出すのだろう。

結婚という変数のブランクに、35だか40だか知らないが数字を書き込むときが来るのだ。

(そのときにこいつがいてくれたらこいつでいいや)、と眠っているミキを見た。

こいつでいい、は悪いな。

こいつがいい、って言わなくちゃと小さく笑うとミキが目を見開いて

「わたし眠っていないわよ」。ああびっくりした。

 

33歳の友人たちへ。

 

これで24話、「タイセツナヒト」の鎖はぐるっと一周しました。終わります。ありがとうございました。