コトバのコトバ

第20回 ヒロユキ

東京への帰りの新幹線の中から、ハルミにメールをした。
メールは苦手だ。思っていることの半分も、書ききれない。
夜遅くに、返信があった。

 

もちろんつれないメールだ。忙しいから会えないという。

会おうと思えば、会えないなんてことはないだろう。
ハルミにとって私がそれほどの存在ではないということくらい、

軽い落胆と共に理解してはいる。
しかし17歳の高校生が、「忙しいから」とは何事だ。

私は父親でもあるのだ。
「父親でも」と「でも」をつけてみて、彼女の冷淡な態度も、腑に落ちる。

彼女が1歳のとき、彼女の母親と離婚した。

彼女の母親は彼女をなんの合意もなく連れ去り、

それ以来ハルミと会うことはなかった。

再開は、1年前である。
ある日、私の個人事務所に手紙が届いた。私信は珍しい。

度を越さない程度の感謝や詫びならメールで済む。
実は、手紙という形態に至る用件は、厄介ごとであることが多い。

去年1年で、「弟子にしてくれ」が2通。
「就職先を紹介してくれ」が2通。

もちろんきっぱり断ることになるのだが、それも手紙で返事を書く羽目になる。
面倒くさいが、相手は私に無謀な要求をするような近頃の若い連中である。

無視してさらに面倒になるのも困る。
「あなたのつくった広告を見て勇気を得た難病の少年がいる。

どうか彼の援助をしてもらうわけにはいくまいか」
念入りな詐欺だったが、さすがに事が事だ。

手紙に書かれていた話の真偽を確認するのに、一週間かかった。
事務所に届く私信は、そういうサインである。

にもかかわらず、手紙の主と会う約束をしたのは、2つの理由からだ。

ひとつは、手紙に書かれていた内容である。
「『子供は私のいちばんのアクセサリー』というコピーは、

どういう意図で書かれたものか知りたい」とあった。
手紙に書かれてあるのを見るまで自分でも忘れていたくらい、昔の、

そして印象に残るほどでもないコピーだった。
たしか、デパートの子供服フェアのために書いたものだ。

問われたところで意図を語るほどのこともない。そのままだ。

そういう時代だったのだ。コピーは生ものである。賞味期限は短い。

15年前のものをいま説明しても、意味がない。
しかし、それはそうとしても、なぜこのコピーが主題なのかは興味をかきたてられた。

それがひとつめの理由である。もうひとつは、女子高生と話をしてみたかった。
待ち合わせ場所を迷った挙句、銀座の三越のライオンの前という、

実に垢抜けない場所で、日曜日、午後1時。
もちろん私は彼女の顔を知らない。

間抜けな顔で彼女が声をかけてくれるのを待つしかない。
あまり人に見せられた中年男の絵ではない。

相手が女子高生だというだけで、新鮮にして浅はかな緊張感がある。
5分遅れた。知らないなりに待ち合わせの相手を探そうと見回せば、

背後から「こんにちは」と声がかかる。
振り向いて驚いた。絶滅危惧種のような、清潔な美少女だった。

おまけに(という言い方はヘンか?)制服だった。
胸躍るサプライズに彼女の「お久しぶりです」を聞き逃していた。

私はそのときどんな顔をしていたのだろう?
鼻の下が伸びきっていたか。

少なくとも彼女を見た男どもが色めき立つのと、同種同程度であったことはたしかだ。
「ハルミです」と彼女は名乗った。それは何度かのやり取りから知っていた。

私も(愚かにも)自分の名前を名乗った。
そのときの彼女の、落胆と、軽蔑と、悔恨と、諦めを福笑いにしたような表情は、

自らの恥とともに忘れられない。青少年だけを責めてはならない。

青少年を非行に走らせるのは、大人に対する落胆である。
口調を明らかに変えて、「娘のハルミです」と告げられたときには、

さすがに「どなたの娘?」とは言わなかったが。
「そうなの?」というとんちんかんな反応が精一杯だったが、

その狼狽の理由は15年ぶりの娘との再会ではない。
異性として考えていた(もちろんその先には、条例の許す範囲内での下心もある)

若い女が娘だった、ということだ。

それまでの無様はなかったことにはできないものの、

どうやら私の狼狽ぶりはハルミの良性誤認を引き出したようで、

近所のカフェで、10分間以上口を開けなかった私の態度を、

父親の複雑な気持ちの表れと思ってくれたようだ。
ハルミの満足げな表情からも読み取れた。彼女こそ複雑なのだ。

それを気持ちに押し込めて、私に会いに来たのだ。
「ヘンな手紙で釣るようで悪かったけど、私が小学生のときに母が、

父親はこれつくった人だと教えてくれたから。
子供心に、子供をアクセサリー程度にしか考えない人だったんだと思ったけど」
わたしは慌てて弁明しようとしたが、

「仕事と現実の人格を混同しちゃいけないよね」その機会は与えられない。
「どうせ過去のことですから」しかもあまりいい過去ではない。

ハルミにとっても、私にとっても、だ。
ハルミの母親とは学生の頃からの付き合いだった。

同棲から、そろそろかなと結婚に至る、よくあるケースのひとつだ。

ハルミの母親が私の友人とできていて、

ハルミを妊娠した当時も続いていたということは、よくあるケースではない。
それが発覚したのが、ハルミ1歳のとき。

「この子はいったい誰の子だ?」と私が叫んで結婚生活は終わった。
もちろんハルミは知らないことだ。

私が家族を捨てた悪名を一身に背負っていることだろう。あの母親の教育だ。
ましてやこんな、親子感動の再会の場で、それ以外の説明ができるはずがない。
それにしても、母親にそっくりである。これは悪い意味ではない。

かつて惚れた女に似ているということである。
この場に及んで、目の前の娘が実の娘ではなかったなんて想像は、不謹慎にも愉快だ。

それが結論でも構わない。
緩やかに下り坂を降りていく中年男のローカル線に、

どきどきするような引込み線があった、そんな感じ。
ハルミをつれて、シャネルでドレスを買ってやるシーンを想像した。

プリティウーマンというより、痴人の愛だったが。
どうもにやにやしていたらしい。ハルミは再び咎めるように、

「もう行きます」と言った。ほぼ無言の30分間だった。
「また会えるよね」と私は言った。この辺のシーンだけ見ていると、援交だ。

しかし私には父親だというカードがある。「またいつか」とハルミは言った。

そして立ち去り際に、「ハルミという名前は気に入っていません」と言った。
そのうしろ姿を見ながら、買い物につれまわすことをもういちど想像した。
ほんとうの娘じゃなければ面白いなと思ったが、やはりこればかりは否定するように首を振った。

 

私は、間違いなく男性に父親を求めている。
父親は普通、娘のカラダを求めない。タクヤは私のカラダを常に求める。
そうしてこの恋愛は、かみ合わないまま終わるのだろう。